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2004.01.15

沖縄駆け足旅その3

■ひめゆりの塔に行く

 だいたいの出発時期を決めた、10月頃だったか?
 テレビで沖縄戦を描いた2時間ドラマが放映され、あまり期待もせず、ただなんとなく
ビデオに撮った。そーれがもう、涙なくして観れないドラマだったのす!!
 号泣しながら観ていたため、翌日まぶたが腫れてコンタクトが入れられなかったほどだ。
 おかげであたしの脳には、これまでになく強く「戦争」つーものが刻まれてしまった。
 だからひめゆりの塔には、ぜひ行ってみたかった。
 
 勝手なイメージでは、どどーん!と広い空間があって、でかい塔や記念碑があって、
という、長崎や広島の原爆系みたいな日陰のない乾いた場所を想像していたのだけど、
実際にはぜんぜん違った。
 公園の入り口のようなところを入っていくと、木に囲まれて、思っていたよりずっと
小さい記念碑があり、その下に、壕の跡がぽっかり口を開けていた。ここで、手榴弾で
集団自決したと言う。
 「壕の跡」と言われなければ分からないほどに、崩れたただの穴だった。
 やっぱりどうしても、ここでカメラを持つ気にはなれなかった。
 
 記念碑の奥に平和記念資料館がある。
 入っていくと、ひめゆり部隊として亡くなった女学生達の顔写真が10枚ほど並んでお
り、どの部署でどんな風に亡くなったかがそれぞれに記されている。あの混乱のさなか、
よくここまで消息を追えたものだと感心しつつ、読み進む。
 …が、最後の1人を見て思わず息を飲み後ずさった。
 真直ぐ前を見つめるその娘の目が、恐かったのだ。
 写真はそれぞれ、新聞かららしきものやアルバムからのものなど、いろいろなところ
から探し出したと思われる、ぼやけたものだったのだが、その娘の写真だけは白黒のコ
ントラストがクッキリと強くて、その真っ黒の大きな瞳はまるで3D写真かと思うほど目
力が強かった。
 なんだか、出鼻でいきなり「中途半端な気持ちで同情すんなよ」とクギを刺されたよ
うな気がした。
 
 娘の目から逃げるように先へ進むと、戦争ぼっ発から沖縄戦の真実、女学生達が看護
婦として、日本帝国国民として教育されていく過程、病院壕の配置と前線移動に伴う撤
退ルートなどの解説があり、実際に使われていた器具・薬品・武器・装身具などの出土
品、病院壕を実物大で再現したジオラマが並ぶ。再現された壕の前では、おばあが実体
験を語っていた。
 さらに次の部屋に入って、もっと息が詰まった。
 さっき後ずさってしまったような少女達の写真が、四方の壁全てに展示されていた。
 部屋の中央には大きな何冊もの本型のものが置かれてあり、彼女達の残した手記が読
めるようになっている。どれも何の装飾的な言葉もなく淡々と、しかし凄惨な情景描写
が続く。
 ここを見ていると、第2次大戦について、東京ではいかにおおざっぱな教育しかなさ
れていないかが、よく分かる。
 実際に上陸され、本土からは捨て駒にされ、一般人を巻き込んだどろどろの白兵戦が
展開された沖縄のことって、高校の日本史でもさらっとしかやらなかったような記憶が
ある。
 あたし達が実際に何かしたわけじゃないんだけど、やっぱり何か申し訳ない気がする。
 つか、もう単純に、凹んだ。
 ぐったりとして資料館を出、一服する。
 だけど正義感の人一倍強いMは凹むーと言いながらも「手記をちゃんと読みたい」と
分厚い資料を買い求めていた。

 さあ、気を取り直して、次いこか。と道へ戻ると、さっき入る時には気付かなかった
通り向かいの土産物屋達が、笑っちゃうほど分かりやすい商人魂で海人(うみんちゅ)
Tシャツを掲げ、待ち構えているのが見えた。
 「うわーアジアだねぇ」と言いつつ、その逞しさに救われる。
 
 さて、いろいろ読みすぎて疲れたので、次はお茶を飲みに行く。

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